南陽山勝光寺
「南陽山勝光寺のおいたち」

鎌倉時代、時の将軍源頼朝が豊前(ぶぜん)、豊後(ぶんご)を治めるため、大友能直(よしなお)を鎮西守護職に命じました。建久7年(1196年)初代の大友能直が御父、故頼朝公の霊を弔(とむら)ふためと国家安全のために伽藍(小庵)を大野川の清流と風光明媚な竹中の地に建立(こんりゅう)しました。
当時、天台宗の名僧、良顕僧正(りょうけんそうじょう)を伽藍に招き開山し、寺号を南陽山勝光寺としました。その後、北条の九代将軍貞時(1300年頃)は禅宗の信仰が厚く、勝光寺は禅宗の臨済宗、京都五山の東福寺の末寺になりました。臨済宗とし360年の年月が流れましたが、江戸時代寛文9年(1669年)頃、現在の大分市高田の能仁寺の開山、行厳雲歩禅師(ぎょうがんうんぽぜんじ)がお寺の荒廃を嘆き、肥後の細川綱利のご加護もあって、曹洞宗となり高田の能仁寺の末寺となりました。
その後、約335年を経て今日にいたってますが、建立からは800年以上と歴史のある禅寺です

「大友家代々の尊崇が厚い勝光寺の歴史をしのばせる南蛮の壺」

16世紀半ば、ボルトガル人のフランシスコザビエルが九州に上陸以来 、南蛮貿易が盛んになりました。特に豊後、豊前を治めていた大友家第二十一代のキリシタン大名大友宗麟は南蛮貿易を盛んにし中世の大分市(府内)を国際貿易都市として繁栄させました。
その南蛮貿易でもたらされたとされる中国南部産の華南三彩壷(英国人コレクターが 命名・‥トラディスカント壷)が南陽山勝光寺に代々伝えられ、現在、所蔵されております。当時の府内の南蛮貿易の様子を伝える貴重な壷です。壷の高さは31.9cm、表面につるや葉、花、半円形の文様などを張り付け、深い緑と鮮やかな黄色、それに三色のうわぐすりが特徴です。大分市の歴史博物館によると完形の伝世品は全国的にもほとんどなく東京国立博物館や彦根の井伊家にも残っているがほとんどが破片としての出土の例である。この壷が文化庁主催、朝日新聞社協力の「発掘された日本列島2001」に出品され6月12日の東京の江戸川博物館を皮切りに全国巡回展示されました。尚、この催しは天皇、皇后両陛下も視察されました。

年間行事
1月 恒例新年 心願成就 「しあわせの鐘」 初詣
2月 星祭り 秋葉山供養(火の神様)
4月 春季大法要
5月 花祭り 慧昭和尚歌説法
8月 大施食会 恒例大野川精霊流し
  ※定期的に参禅会 歌説法企画中
竹中地区(勝光寺周辺)のイベント
9月 ハヤ釣り大会 勝光寺前の大野川 
後援:大分合同新聞 協賛:地元企業他 南こうせつ
11月 大野川合戦まつり 500年前の大野川での大友、島津の戦いを再現