Photo by 立木義浩
一関市は常堅寺の泰彦和尚さんからお誘いを頂き被災地を訪ねました。 出前歌説法が通じるものか、あるいは失礼に成らないかを心配しながら、 最初の訪問地「石巻」を訪れました。 会場はイオン石巻店さんのコンコースにある特設舞台で、セールの案内放送が流れる中開演しました。 コラボをしてくれた好文館高校音楽部の女生徒さんの明るく伸び伸びした歌声が会場に響き多くのお客様がお集まり用意した歌集の童謡を一緒に歌いました。 皆さん一生懸命歌って呉れましたので、私は指揮に専念しました。
開演に先立ち学校へお邪魔し音合わせをしました。 初めは固くなっていた生徒さんたちも笑顔が出始めると共に次第に声が出るようになりリハーサルを早々に終了し、校門の近くに「鎮魂と慰霊の桜を植樹」させて貰いました。 お亡くなりに成った生徒さんも居られますので、般若心経を唱えたあと、童謡の「ふるさと」を合唱しました。皆さん真剣に手を合わせて居られました。 未だ三ヶ月半、悲しみは深いままです。
博多の修行寺「明光寺」の先輩というよりご指導を頂きました吉宗(きっしゅう)和尚さんの旧知のお寺さんです。本堂でのお説法ですから雰囲気は慣れたものですが、来られた檀家さんは「一体何が」という雰囲気がおありでした。 しかし童謡を一緒に歌う頃は皆さん納得され、大きな声で歌って呉れました。思い切り声を出す事でストレスが軽くなったのでしょう。そして何より感激したことには弟こうせつのファンの方が一緒に歌いたいと声を掛けてくれたことでした。大変な被災をされたとお聞きしていたので大丈夫かと心配しましたが、「頑張る」とのお話を頂き歌がお役に立ったのであれば何よりと思った次第です。
被災された方々の居住スペースと会場が隣接していることもあり夕食後19時開演なのですが、20分前には誰も入って来て居りません。ビッグバン全体へのアナウンスは「そちらでどうぞ」という事で泰彦和尚さんがマイクをお借りし内容を繰り返し必死でPRするも10分前になり漸く入って来られる状況でしたが、予定した100席ほぼ満員と成りました。童謡を歌うにつれお孫さんを亡くされたおばあちゃんが少し元気を取り戻されたご様子に一安心をしました。名古屋からお茶の接待に同じ宗派のお坊さんがボランティアで来てくれていましたが、本当にご苦労様と感謝する次第です。
居住されている場所ですから大丈夫かと思いました。 「お疲れのところ恐縮ですが少しの間お騒がせします」と説明しながら横たわっている方にも歌集配りを行いました。何を始めるのか疑問に思っておられた方も歌集を見て「和尚さんと童謡を歌うのか」と理解して頂けた様でした。 助けられましたのは地元の二つの合唱サークルの皆さんが応援に駆けつけてくれたことです。避難されている皆さんをリードし童謡を歌ってくれました。 同じ被災者として共通する気持が通じたのでしょう。始まる前とは違った雰囲気の中終える事が出来ましたのは避難所のスタッフの方の陰ながらのサポートが大きかったと感謝申し上げる次第です。
むごいの一言でした。未だ片付けさえ出来ていないのが現状でした。確かに道路周辺は整理されていますが、商店街の内側などは全くの手付かずでした。特に重機が入っていない地域が多く、神戸の震災後と大きな違いを感じました。政府や行政を批判する報道が多く見受けられますが、その様な政治体制を容認して来たのは私達の責任であると反省を致した次第です。 どの党とか、誰とかではなく根本を考え直す時期に来ているのではと思います。 幕藩体制を今の官僚体制として捉えますと分り易いと思います。 国のシステムそのものを見直さないといけないのだと確信をします。 未来の子供たちに大きなツケを遺すことの無いよう考えようではありませんか。 その力を国民一人ひとりが持っている事を認識しようではありませんか。